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レポ・写真うp用スレpart3

218 名前:ホッシー君@胸を借りようか 投稿日:2007/05/15(火) 22:55:43
大門の載ってた記事書き起こし。

5月15日日本経済新聞(夕刊) 一面[なんとかなるさ]コーナーより
心を読み決め球多彩―保険代理店経営 大門和彦(41)

 プロスポーツ選手は引退後第二の人生で苦しむが、ソニー生命保険の営業マンに転じた横浜選手、大門和彦の立ち上がりは快調だった。最初のひと月は社内西日本記録となる五十件の契約を獲得した。
 だが、元野球選手の肩書きが通じたのはそこまでだった。月二万円の契約をしている顧客に「六万円のプランはどうですか」。不用意な配球で墓穴を掘った。現役時代の最高年俸は三千六百万円で「金銭感覚がずれていた」。現役時代の支援者を訪ねても居留守を使われるようになった。
 「人間不信になった」。がっくりとマウンドにひざをつく思いで、営業成績トップの同僚に相談すると「相手の悩みを聞くことに徹しろ」といわれた。投手は自我を通せる仕事だが、営業は投手の気持ちをくんでリードする捕手でないと務まらないようだ。
 顧客からのメールに注意してみた。長文を書く人は何でも知りたい人で、説明は詳しい方が喜ばれる。短い文章の人は要点だけ言わないとイライラされる。捕手の視点から見えてきたものは多かった。
 元選手と気づく人も少なくなるにつれ、営業成績も上がってきた。転身七年後の二〇〇二年、京都に保険販売の代理店を構えた。試練を経て何とか一人前になれた。野球に限らず、打たれてからが本当の勝負ではないか・・・・・・。
 一九九三年、横浜から高木豊ら看板選手とともに大量解雇のリストに名を連ねたとき、同情の声が上がったのは事実だ。通算三十六勝(五十二敗)。まだやれると思っていた。球団の年俸対策リストラの被害者とされた。
 しかし、投手としてどうだったか。「困ったときは打者が誰でもフォークボールばかり投げていた」。一本調子の投球はもろかった。
 「相手をみるとか、今のような物の考え方をしていれば、もっと勝てていたかも」。投手時代より、うたれづよくなったという自覚はある。(敬称略)

スーツ姿の大門の写真も掲載されてる。希望あれば後日画像うpります

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